加養浩幸の生い立ち(その10)

加養少年が吹奏楽を初めて指揮したのは中学3年生の4月に行われた定期演奏会であった。当時私は中学校に入学したてで、その時のことはまったく覚えていない。

しかし、高校に入り、加養少年の指揮者としての本格的なスタートは、ひょんなことから、しかし衝撃的に始まった。

前記した通り、加養少年が通った高校は、当時名門で鳴らした千葉商業高校。しかし、千葉商業には指導してくださる顧問の先生がいたわけではなかった。コンクールを振る先生は外部講師であり、したがって、普段の練習は学生指揮者を立てて練習せざるを得なかったのである。もちろん、加養少年が入学したての頃、学生指揮者は2つ年上の3年生であった。ところが、その学生指揮者の先輩が病気療養のため、休部せざるを得なくなってしまったのである。

そこで代わりの指揮者として選んだのが、加養少年だった。同期の3年生でもなく、2年生でもなく、1年生の加養少年だった。(これについては、加養先生は2年生の時のこととして記憶しているが、私の記憶では1年生のときであったと確信して・・・・)

その先輩が、同じトランペットパートの3年生であったということも何かの縁であろう。その先輩は加養少年の卓越した音楽センスと高校生としては常識はずれとも言える音楽についての知識を見抜いていたのであろう。それにしても、1年生に指揮者としての立場を与えたことには驚いてしまう。20年も前のこととはいえ、高校生の部活に、様々な人間関係が存在することには変わりはないはず。にもかかわらず、顧問も事実上存在しない中で、それを成し遂げてしまうところに、凄さを感じざるを得ない。

今でこそ、万人が認めるそのカリスマ性を、高校1年生の段階で身につけていたのかもしれない。

私が先生の指揮を見たのは、先生が高校を卒業した年、母校の定期演奏会で客演指揮として振ったのが始めてだった。曲名も覚えていないが、これまた今でこそ、誰もが知っている「加養先生が振るとサウンドが変わる」という現象を、その時始めて感じた。「若い頃はつたない指揮で」といきたいところだが、そうではない。その時から「振ると変わる」状態だった。

「普通ではない」状態は、途中からではなく、少なくとも私の中では、最初からなのである。