加養浩幸の生い立ち(その4)

小学校を卒業し、大網白里町立大網中学校に入学した加養少年。扉をたたいたのは、もちろん吹奏楽部の門でした。

当時の大網中は県下でも結構有名で、上手なバンドでした。加養少年と同時に入部した新入生は20名。そのうち9名が男子。顧問は加藤婦美子先生という、怖い先生でした。

しかし、部の実状といえば、よくもまあここまでやらせてくれるなあという、凄まじいものでした。今の時代だったら新聞に載ってもおかしくないくらいのやりたい放題。その例をいくつか紹介しましょう。

(1)加養少年木に縛られる事件!

日曜日など練習が終わるとみんなで昭和の森(千葉市緑区土気町・先生の故郷の「大網」と「土気」は隣接)に自転車で繰り出し、暗くなるまで遊びたい放題。そこで始まったのが「警察ごっご」。

1年生の加養少年は「人質」の役。「犯人」役の先輩に、だれも通らないような森の木に両腕を木に縛られ、さあ、ゲーム開始。「警察」役の先輩に保護されるのか、それとも「犯人」役の先輩にどこかに移されるのか。ドキドキしながら待っておりました。

しかし・・待てど暮らせど誰も来ない・・・・・。しばらくするとあたりは真っ暗。数時間放置されるうちに「自分は忘れ去られた」ということを認識し、自分の人生もこれまでか、と腹をくくって縛られっぱなし。

そして、夜の9時。懐中電灯を片手に、「わりい、わりい」といいながら、縛った先輩が登場し、無事に保護。その後その先輩の家で食事をいただき、はい、さようなら。

これでも何にも問題にならないのだからすごい!

(2)真夏でも涼しい事件

夏休みの大網中学校吹奏楽部の練習、もちろんクーラーなどなく、猛暑の中での練習換気扇をはずし、扇風機代わりにしながらの練習は、延々と続きます。そんなあるとき、昼休みに1年生の加養少年は先輩に呼ばれ

先輩「加養、暑いな。」

加養「はい、先輩」

先輩「涼しくなりたいか?」

加養「はい、もちろんです。」

先輩「ようし、それなら涼しさを味あわせてやろう。」

このような会話があり、つれていかれたのが音楽室にある楽器倉庫用の小部屋でした。そこにはすでにほかの先輩も何人かいて、同時に楽器を包むための毛布がどっさりあったのです。

そこから起こったことは想像に難くないでしょう。毛布でぐるぐる巻きにされ、動けなくされてから、さらに上から毛布をどっさり掛けられ、二重窓を閉められて十数分・・・・・・にやにやしながら解放されたときは、加養少年は汗びっしょり・・・

そこで先輩が一言「どうだ、涼しいだろう。」

ちなみに、この儀式は大網吹奏楽部の伝統として受け継がれ、2年後、全く同じことを加養先生にやられたのは私です。

(3)夏休みの屋上

暑い暑い夏休み、涼む方法は他にもあったのです。

大網中学校は屋上の出入りが自由。3階にあった音楽室のすぐ上が屋上。その屋上で昼休みにやっていたのが「水のぶっかけっこ」。バケツを一人に一つ用意し、そのバケツに水をくみ、モーレツな勢いで水を掛け合うのです。

それを続けること約20分。びしょびしょになったシャツや短パンを国旗や校旗を揚げるポールにくくりつけ、天高く掲げながら乾かし、その時間に弁当を食い、昼寝をするのです。

そして午後の練習時間になると、まだ乾ききらないシャツを着て、短パンをはき、練習を始めるのです。

以上、3つのエピソードを読んでいただければ、当時の大網中吹奏楽部の雰囲気はつかんでいただけたと思います。まだあるのですが、エピソードはこれくらいにして次回からは、加養少年と音楽の関わりに移ります。